何かを見つめて、そしてテーマが見えてくる。

 何もなくて。義務も、現実も、責任も、夢も、もちろん未来も。でも愛はギリギリ。多少の

実感としてある。そう感じる。そして私にはそれがあったから、こうして生きてこられたのだ

と思う。たくさんの人を傷つけて、また一丁前に自分も傷ついて。でもお互いを潰し合わな

かったのは、誰がくれたのか、たぶんそこに愛があったからだと思う。そして今、そのおかげ

で私はどちらにも、正義にも悪にも、どちらにも歩み寄らないこと、歩み寄ってはいけないこ

とを学んだ。私は存在にのみ愛情を感じる。

 

今日から俺は

 それぞれが、それぞれに楽しみを持って、人生を楽しんでいる。それぞれにいろんなことを抱えながら。私だけが苦しんでいるように感じることは、物凄く傲慢なことだ。

 海外旅行、ゲーム、マネーゲーム大谷翔平の活躍、高校野球、美味しいものを食べること、そういった楽しみを共有しあうこと。

 私は単に不必要な存在なのかもしれない。好ましくない世界で生きるために自分を隠して、あるいはごまかして生きてきたようなものだが、どこまでいけるかとも思ったけれど、ここに来て弾かれようとしているのかもしれない。さあここでどうする?

 どうすることも出来なさそうだ。まずは何事もなかった、ないかのような顔をして、淡々と生きていくしかなさそうだ。答えは放っておいても出てくるだろう。負けるわけにはいかない。ここからが本当の闘いだ。誰も知らず、始まったことも終わったことも知らない。すべては日常に消え去るのみ。

 

今日も

 今日も満足な日は送れなかった。毎日毎日、不満足のままその日が過ぎ去る。どうすれば満足できるか知っている。では逃げずにやることだ。時間潰しは終わり。今日はせめてこれを仕上げてから寝よう。さすれば少しは違うかも。今日はそれでも英語をやった。なんとか連続学習記録は続いている。長い道のり。いつ辿り着くのか。すべてが少しづつで、たくさんすることがあり、やりきれないのはもちろん、0か100かでなく、1でも2でも。少し元気になった。

 いつも自分で自分を励ましている。これは練習。いつかのための。

 

しょうがない

 誰のことも参考にしない。セオリーは学ばない。これは決して格好いいことではなく、その

おかげで随分と回り道もしたし、あまり合理的なやり方では無いと思う。しかししょうがな

い。何もかも。ここにいることも。良い暮らしとは言えないが、小さな幸福を感じていること

も。

 

自然災害

  苦しさについて。

  出口のないこと。

  ただ実感がないこと。

  ぼんやりと不安を抱えていること。

  特に楽しみがないこと。

  孤立していると感じること。

 こんなことぐらいだ。大したこととは思えない。しかし今いるところが少し苦しいと感じて

いる。静かに生きながら、この苦しさが通り過ぎるのを待つしか、他に方法はなさそうだ。

  

暗いトンネル

 眠れない夜。紛らわせるため駄文を書いている。暇つぶし。

いろいろ勝手に煩わしさを抱え込んで、そして勝手に開き直る。頭がヘンにならないように修

正している。どうにかマイナスの状態からゼロに戻すことに精一杯でこれがプラスになること

はほとんどない。沈み、また戻し、また沈み。戻し、たまに浮き。

 希望を見失っているから辛いのではなく、何かを見出そうとするから辛いのである。

当たり前と言えばそれまでだ。