解決策

 こんな時間こそが私たち人間にとって大事なことで、やたらと小さな興奮や刺激を与えられすぎて、それが当たり前だと感じてしまう。だからこそ休日にもかかわらず、TVを観たりゲームをやったりパチンコに行ったりする。 それは普通のこと。否定はしない。しかしそれだけでは済まない何か、満足できない何かがある。すべては暇つぶし、その通りだと思う。暇つぶしの更なる暇つぶし。刺激、興奮。それでも求めてしまう。それがなかった頃は、何をしていただろうか?怒り。イライラ。奪われることに対する不安。ストレス。やらなければいけないことをやらず、別のことで時間を潰すたびにイライラし、そのまま1日が過ぎ去ってしまう。大声を出す。職場では我慢する。怒りが過ぎ去るのを待つ。やりたくないことを自分に課し、それをやらないことでイライラしてしまう。これは捌け口。せめてもの。満足とは何か?仕事をしないことは一つの方法である。

 

意欲

 雨。午後はゆっくりしている。写真と文章のこと、ようやく始めてみる。悪くない。私がやりたかったことだ。一体それで何をしようとしているのかわからない。文章には嘘も多いし、脈絡もなく、決して本心とは言えないことも書いている。写真にしても同じこと。ただこの2つは相性がいいと思うし、お互いを活かす役割を果たすと思っている。ところでこの文章もそのために書いている。考えや思いを文章にすることは大事なことだと思う。感情や気持ちを改めて見つめることができるし、焼き直すと違った考えも芽生えてくる。要するにもう1人の自分との会話のようなもの。そしてまた今度は紙ベースで違ったものを作る。

 すべては突然出てくるものではなく、長い時間をかけて生成されるものである。いまこうしていると楽しい。自分が生きていると感じることができる。内容などどうでもいい。それを感じることが出来れば。

 

書くこと、走ること

 書くことと走ること。この2つで自分のことは大体かたがつく。これ以上のことは、どうでもいい。人は自分に抱えられる問題だけを処理する。自分にとってどうでもいい情報は見えていないも同じ。見ること、見えることこそ怪しいものはない。

 2つはどちらも身体性がある。もうひとつは撮ること。撮ることと見ることは違う。撮ってる時は見ていない。対象を感じているだけだ。本心はそんな写真が撮りたい。

 

闇に吠える

 言葉が出てこない。朝。何かの音。煩わしい夜。寒さ。家族。お金は無し。友だちも無し。いろいろな問題。後回し、寒さのせいで、お金が無いせいで。他人とあまりに違うこと。けれども同じ価値観だと勘違いすること。私はいま、多様性を求めている。マイノリティが生きやすい世の中を。自分がどちらなのかはわからない。ただ、今とても生きにくいのは確かだ。今に始まったことじゃないけれど、苦しくて、喘いでいる。父親はこんなとき、いつもヤケを起こしていたことに、いま気づかされる。状況を打開するために無理をして他人と揉め事を起こし、無駄なお金を使って、それでも上手くいかず結局はツケがまたたまる。彼の気持ちはよくわかる。 ただ世の中が嫌だったんだろう。

 一方で、私は逆に何もせず、我慢して、好機を待っている。悪いこともやがては過ぎ去って、良い時はやってくる、いまはジタバタしても始まらない、下手に動かないことだ。動くとやられる。 これが正しいかどうかなんて、誰も知らない。

 ところで、私は同じ匂いがする人間とまるで巡り会わないのが不思議だ。

 

抽象的な言い方

 風が強い日。天気は晴れ。子供たちは元気に学校へ。特に下の子はいたって元気。毎日何を考えて過ごしているんだろう。きっと楽しいことや、はちゃめちゃなことを考えているに違いない。ドガーン、バキューン。そのまま行けばいい。それ以外のことはすべて煩わしくてつまらないことだ。

 一方で、大人たちはあーでもないこーでもないと日々神経をすり減らしながら、生きている。ほとんどすべてがどーでもいいこと。勝手にやって欲しい。私は彼らからどこまでも逃げてやる。もう子供にはなれないけれど、大人としてどこまでも。捕まってたまるか。

 

なんでもない

 なんだかよくわからない毎日。すべてが地につかず、やっていることがどれも断片的で、それでもまとまっていくんだろうか?感情を抑えることに四苦八苦している。はやく抜け出したい。今は我慢の時だと、10年前も言っていたような気がする。それでも生きる。私は何でも生きてきた。どんな状況でも、死にたいと思ったことは一度もない。おめでたい人間。だからいつもなんとか乗り切ってきた。素晴らしい、自分にあんまり自信なく生きてきたけれど、ちょっといいことだと思う。やっぱりただ生きてきた、に違いないが、ちょっと違う。そのちょっと違うのがいい。俺でもなんとかやってこれた。もう大丈夫だと思う。あとは好きにやるだけ。他のことは他の人間がやってくれ。

 

まず1年、その他は10年

 とりあえず、今年1年、やってみて、様子を見てみたいことが1つある。その他は10年。やっと、それが好きかどうか、適性があるかどうかは別にして、いろんなことをしたいと思う。挑戦も含めて。楽しんでやれる。

 遅い。でもしょうがない。そして体力も無くなってきている。だからこれから10年。10年後、どうなってるのか、楽しみであるし、10年間は孤独が続きそうだ。無駄ではないと思っているし、駄目だったとしても本当の答えが出てくるだろう。よしやろう、とかよし辞めようという答えが。長続きさせるには、コン詰めてやらないことも学んだ。ダメな時は、無理にやらない、あるいはダメでも様子を見ることが大事だということを、他人をあまり意識しなくても良い生活の中で、学んだ。 良かったことだと思う。私にとって孤独でいることは。他の人は知らんけど。