目先

 20年ぶりに若者たちの街へ。

 あのときと何も変わらない。外見は変わっても中身は同じ。焼き回し。二束三文の品物を大した値段で売っている。若くない私はもう騙されることはないだろう。しかし別の誰かが騙される。誰かを騙さないと成り立たない商売。ただそれだけ。若者たちはそこに夢を求めてやってくるけれど、もはやそこには何もない。美しいものは同じ場所かもしれないが、たぶん別のところにある。同じ場所の違うところ。

 これ以上は、言わない。


 

凸凹


 知りあいが亡くなり、上京。久しぶりに会う人もいる。亡くなったのはかつての恋人の母親。彼女たちがいなかったら、今頃自分はどうなっていただろう?橋の下で寝ていたかも知れない。それぐらいいろんな意味でお世話になった人たちではある。

 そんな人がおそらくどんな人の人生にもいるだろう、と思う。今の自分があるのはあの人のおかげだと。確かにその通り。だが、その人たちと出会わなかった人生も確かに存在する。何故かわからないけれど、確信を持ってそう言える。そしてその人たちと出会わなかった人生の方が良かったかもしれない。

 可能性はあるが、やはりこれもある確信を持って言えることだけど、たいして違わないだろう、と。人間は惹かれ合うものだ。自分と同じような人間を求めて。あるいは凸と凹をお互いに埋め合えるような人間を求めて。だから結局は同じような人間を求めて、その人とくっつき、同じような人生を送っている。それでも懸命に、何かを求めて生きるだろう。

 それについて、どう思う?  どうでもいい、そうだね。

 

 

 

 

写真と生

 未だに習作の範囲を超えていない、ので、練習で試しているのである。いいか、良くないか。いつか誰かに見てもらうため。感情のままに書き連ねているのではない。もっと冷静で先を見てのことである。こんなことは、今まで思ったことも無かった。

 

 刹那的で衝動的でいつでもその瞬間だけが大事。やってきたすべてのことが、そんな感じだった。その瞬間、その日一日が良ければいい。聞こえは良いが、駄目だったことをなかなか受け入れず、ごまかしたり、認めなかったり、自分に嘘をついたりする。勝ったり、負けたりで右往左往する。

 日常は、すなわち現実は、イケてないことがほとんどだ。こうして毎日が過ぎてゆき、一定の静けさの中、人は死んでゆく。なかにはいろいろ波瀾万丈もあった、と。実は何も無かったというのがおおかたの正解だろう。自分も含めて人の生涯など。人生の起伏は幻想だ。


生まれて、それも本当なのか確かめようもないが、たぶんこの世に生きて、ただ死ぬだけ。実に味気ないとも言える。他の生き物たちと同じ。そして彼らの生に意味が無いことは決してないように、人間の生涯も何かではある、と思う。とても難しくて簡単な謎、というか、謎解き。これは写真を紐解くのと似ている。

 つまり、写真も何かではある、ということ。

 

 

 

 

なぜ写真日記

 写真と文章。写真は挿絵より文章との相性は良いと思う。挿絵はときに文章に寄り添いすぎ

る。両者(写真と文章)はあまり関係ない方がいい。お互いがお互いを説明しないほうがいい。

どちらも多くを語りすぎてはいけない。どちらも足らないぐらいがちょうどいい。それぞれ

が補ってくれるから。

 何かの例えのようだけど、本当のことだと思う。

 

So what

 まさに「思いは言葉に」また煽っている。お金のために。

しかし、他人を煽るような言葉がいつも嘘とは限らない。誰が言ってるかが問題。

言葉だけを捉えると、そこに嘘はない。いつでも。だから言葉だけを拾ってみることにする。

言葉だけを信用して、真実だけを掴み取る作業。現実世界と照らし合わせながら。これは合っ

ている?いや、ちがう?いつも反芻している。半ば無意識に。

 写真は「真実」ではない。でも信用出来る? ちなみに私の写真は「嘘」じゃない。

 だから?  いや別に。

 

全然わからない

 先のことはわからない。これがなんになるか?何かになると自分ではおもっている。ほとん

どの人が、恥ずかしげもなく、いろんなものを表現しすぎると、思う。表現で溢れている。

しかしそれは表現ではない。みんな我が我がと。危うく騙されるところである、これでいいん

だと。

 かっこよさとは何か?ひとつは、いけてなくてもひとまず我慢すること。彼らのペースに巻

き込まれないこと。チャンスは来る。それまで、準備しておくことだ。

 金輪際、他人のことなど知らない。

 

いたくない

 少しだけど気持ちも上向いている。まだ自分でそう持っていかないと、自分を励まさないと

暗く沈んでしまうことも多いけれど。くだらないことが自分を苦しめる、そのことにまた苦し

められる。いたくない、いたくない、こんな場所にはいたくない。しょうがない、すべては自

分が蒔いた種。でもいたくない。若い頃に無理していたくないところにもいたせいで、すっか

りそこから逃げるのが苦手になってしまった。なんとかなるだろう、と。

 他人が見たらどんなに些細なことであれ、自分にとって苦しい場所なら、それは辛いところ

だ。すぐには改善できないけれど、辛いことも受け入れる。恥ずかしく思わずに。